牛の名前は「ヘンドリカ」ふしあわせな牛。飼い主のホフストラおじさんにいいお乳を出すために、 毎日草を食べ続け、おなかが地面につきそうなほど太っている。牧場のまわりの風車やチューリップ畑や 運河には飽き飽きしているらしい。「ピーター」という馬の友達がいる。草を食べて歩いているうちに、 川に落ちても、のんきにまだ草を食べ続けている。なかなかいい性格だ。 そこへ大きな箱が流れてきて、偶然にもその箱に乗ってしまってから、ヘンドリカにとって人生最大の冒険物語が始まるのだ。
見たこともない風景、珍しいものだらけの町の探検、おまけにみんなの注目の的になるという、 こんりんざい経験したことのない興奮の果てに、馬のピーターからうわさに聞いた麦藁帽子の 味見までできたのだから、ふしあわせなんてどこかにふっとんでしまう。 ヘンドリカと一緒に私たちも、ピーター・スピアーのすばらしい風景描写にのせられてわくわくの 「オランダミステリーツアー」といったところか。乗り物は古い大きな箱で、目的地はオランダの町。 何が起こるかお楽しみで、最終目標は、チーズ市場で食べる究極の麦藁帽子ということになる。

子ども達に初めて読んだその日、この「オランダミステリーツアー」の風景描写を工作で作ることを提案した。 風車をつくり、チューリップ畑をつくり、家も運河のふちに並べた。子ども達は橋や木を好きなようにつくったり、 小さな箱をつくって運河に置き、それぞれ自分達の分身である小さな牛をのせたりした。5歳ぐらいの子ども達に してはかなり頑張ったはずだ。

これでなんとか、ヘンドリカが町に流されていくまでの道のりが体感できたはず、 この絵本がより楽しくなっただろう。などと、大人側の勝手な満足感に浸っているところに、 するどいSちゃんの一言が突き刺さる。「先生、こんなのより、ぼくが牛になりたいよ。」そりゃそうだ。 ちょうどその日のSちゃんのいでたちは、白いポロシャツに黒いズボン。よしっ、黒画用紙で牛の模様をつくり、 Sちゃんのシャツに貼り付けてみた。茶色画用紙を丸めて2本の角をつくり頭になんとか固定した。今度は、 みどりの麦藁帽子をつくろうと画用紙と格闘していたところ、当のSちゃんは黒画用紙を手先と、 足先にまいてセロテープでくっつけ、今まさに歩こうとしている。そうか、ヘンドリカの足先は硬いのか。

Sちゃんは四つん這いで、のそりのそりと歩き出す。 しかも、膝なんかつけてない! Sちゃんが歩く、ヘンドリカになって歩く。 Sちゃんが「モ~」と鳴く、ヘンドリカが「モ~」と鳴く。ヘンドリカが振り向く、 いや、Sちゃんだ!Sちゃんがヘンドリカか?ヘンドリカがSちゃんか? 私といえば、せいぜい、チーズ市場でヘンドリカを見つけて連れて帰る「ホフストラおじさん」の役にしかなりようがなかった。
Sちゃんはどうしてヘンドリカになりたかったのだろう。ふしあわせでも、太っていても、川に落ちても、 こんなに楽しい冒険ができたからなのか。緑の麦藁帽子がおいしそうだったからではあるまい。 毎日がお祭り騒ぎのような子ども時代、けっこう気に入っている毎日があったとしても、 もっと面白いことを見つけるのが子どもの仕事だとしたら、ヘンドリカの身の上に起こったことは確かに憧れに違いない。 さて、最後に牧場へ帰ったヘンドリカは、また毎日草を食べつづける生活にもどることになるのだが、 ホフストラおじさんが見張っていることなど気にもかけず、草をかみしめながら、考え事でいっぱいだったという。 赤い麦藁帽子を頭にのせて。
「いったい何を考えているんだろうね?」と子ども達に聞くと、「町は楽しかったなあって」「また町へ行ってやろうって」 「また箱が流れてこないかなあって」「麦藁帽子おいしかったなあって」「帰ってこられてよかったって」言うことはいろいろである。

この絵本を何度も読み聞かせていると、ふと思う。私の中にも、もしかしたらヘンドリカ願望があるかもしれない。毎日がしあわせか、ふしあわせか考える暇もないほど、生活に埋没していることがある大人、ふとしたことで、何か非日常的な楽しいことが起こったら・・・・ 今こうして絵本について、好き放題書かせてもらっている私は、さしずめチーズ市場で麦藁帽子をおいしそうに食べているヘンドリカなのかもしれない。

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