ことの発端は、ラチという男の子の登場から始まる。
ラチは世界中で一番弱虫。犬も怖ければ、暗い部屋にも入れない。友達さえも怖いし、泣いてばかりいる男の子。ある日、この弱虫ラチの前に小さな赤い「らいおん」が現れる。ラチを強くしてくれると言う。どうやって?「らいおん」はおもむろに強くなる体操を教えてくれる。この体操のデモンストレーションは絵本の中で、かなりのかわいさで迫ってくるが、「らいおん」は真剣だ。こんなもので本当に強くなれるのか。しかし、「健康な体には、健全な魂が宿る」というのを地でいくようなもので、たちまちラチは強くなっていくから効果は大したものなのだろう。
絵本を読んだ後には、子ども達はみんなこの体操をやりたがる。見開きのページを前に、らいおんの強くなる体操をなんとか真似しようとする。そのうちもっと頑張ろうと声をかけると、自分流の体操を考え出す子もでてくるから子どもの創造力はすごい。



「らいおん」は、体操を教えてくれるだけではない。いつでもラチについてきてくれる。ラチのおしりのポケットに入って。ここが大事なところで、らいおんがついているとなるとラチは怖いものなんてない。いじめっ子「のっぽ」にも勇気を持って対抗することができるのだから。でも、気が付くと、らいおんが入っているはずのポケットには、いつの間にか、別のものがはいっている・・・・のだ。消えてしまったらいおんは、最後の手紙でラチにこう語りかける。「ぼくを忘れないでくれたまえ」なんと小気味のいい、言いようだろう。そういえば、最初にらいおんが現れた時に「きみ、見ていたまえ」と自分の強さを誇りながらラチに言うのだが、「・・・・たまえ」とは、ひと昔前の日本映画のセリフのようでたまらなく好きだ。

この絵本は本屋に並んでいると、つい見過ごしてしまうほど地味な絵本である。ぱらぱらとめくってみても、あまりにもシンプルな絵で、色数も少なく、背景がない。しかし、この絵はものすごいシンプルさでも、物語る力を持っている。  スピード感があって、トントン拍子に話が進んでいく気持ちよさがある。同じ画面の中で左から右に時間が流れていき、次のページにつながっていく。どうなる、どうなる?と思っているうちに最後には「あっ」と驚く結末。子ども達は読んだ後、本を閉じると必ず「ぽっか~ん」とした顔をする。そして「もう一回読んで」とリクエストする羽目になる。読み手にとってこの快感はたまらない。

ここ十数年、私の仕事の主軸は絵や工作であるが、それに絵本を組み合わせた活動を行うことがたまらない楽しみである。最初の頃は、試行錯誤でいろいろな試みをしていたが、この「ラチとらいおん」を読み始めた頃、絵本を読んだ後は何かを作って遊ぶパターンができてしまっていた。そこで、私は迷わずらいおんをティッシュボックスでつくることにした。それぞれの子どものらいおんのイメージを大事にしようなどと、「いかにも」という考えを巡らせながら、口がぱくぱくと動くらいおんに仕上げた。いろいろならいおんができた。子ども達はみんなそれを持って帰った。でも、何かが違うような・・・。作らせようというお仕着せの勝手な考えが、絵本のらいおんとはかけ離れたらいおんを作り上げてしまったのではないか。らいおんは突然現れなければならない。小さくて赤くなければならない。ずっと心に引っかかっていた。「ラチとらいおん」を本当に楽しむための活動・・・・

次の年、私は意をけっして、いつか工作の本で見たフェルトの小さな赤いらいおんをつくることにした。久しぶりの夜なべ手芸で、子どもの人数分つくるのは大変だったけれど、ポケットに入るくらいの赤いらいおんがたくさん並んだところは、なかなかのもので、しばらくはウキウキしながら眺めていたのを覚えている。次の日、読み聞かせの後さっそく、フェルトらいおんを取り出して、ひとりひとりに渡した時、子ども達がうれしそうにポケットに入れるのを見て、心に引っかかっていたものが少しはとれた気がした。家に帰る道すがら、子ども達はどんな風だったのだろう。少しは胸を張っていただろうか。あれから十年ほど経ったけれど、今頃あのフェルトらいおん達はどこにいるのだろう。

最近になってこの赤いフェルトらいおんの一匹の消息が分かった。25歳になった我が娘の部屋にいたのだ。そういえば、らいおんをつくった時に、まだ小学生だった娘にも一匹あげたような・・・・彼女は、「あら、ずっと私の部屋にいるわよ」としらっとした顔で言う。知らなかった。いや、すっかり忘れていたと言うべきか。そして娘は、肝心な勝負の日には必ず一緒に連れて行くのだということを告白した。絶句!「受験の時とか、就職活動とか、今でも時々出張のときも連れてくわよ。」開いた口がふさがらない。社会人となった今、仕事で海外に出かけていく娘の大きなスーツケースの中で、着替えや化粧品、仕事の書類ファイルと共に、あの赤いらいおんが窮屈そうに収まっている姿を想像すると、苦笑してしまう。娘が、ヨガマットの上であれこれポーズをとっているのは強くなる体操か?「きみ、もっと大事に扱ってくれたまえ!」という、赤いらいおんの声が聞こえてきそうだ。



前のページにもどる