読み聞かせをする時にはまず、いつものように、ゆっくりと思いを込めて題名を読む。 「かしこいビル」「かしこいってなあに?」と聞いてくる子がたまにいる。「さて何だろうね、読むと分かるよ、きっと。」 と軽く受け流すのが一番だ。実は「かしこい」の意味をこどもに分かりやすく説明できない自分がいるのだ。 この絵本の原題は「CLEVER BILL」という。「CLEVER」を、「頭がいい」とか「おりこう」とかでなく、 「かしこい」とした訳者はすばらしいと思う。 この絵本は1926年につくられたというから、もう80年もたっているということになる。色も3~4色の単純な色使い。 ページ数たった23ページだから、見開きで数えると13回めくって話は終わる。けれども中身はかなり物言う事柄がつまっている。 以前参加した絵本の研究会で、25年以上発行され続けている本は名作と考えていいという話を聞いたことがあったが、それは確かに言える。

メリーちゃんは、おばさんから「あそびにいらっしゃい。」と、手紙でお誘いをうける。メリーちゃんは一生懸命つたない返事を書くが、この返事の手紙を、まさに子どもが書いたように訳してしまった訳者の力量にまた感心する。 それにしても、メリーちゃんのおばさまのなんとステキなこと。上品で貫禄十分、まさに「おばさま」の風格である。おばさんはドーバーの白いお家に住んでいる。察するに、リタイアした後、郊外のステキな白壁のコテージにひっそりと暮らしている。丹精こめた花々と時々デイジーが顔を出す芝生の庭にガーデンテーブルがあり、そこでお茶(TEA)を飲むのだろう。おそらく、おばさまの横には老犬が寝そべっているに違いない。 ページをめくり始めてからたった4ページで、私の頭の中にこれだけのドラマを感じさせてくれるとは、ひたすら脱帽ものだ。

メリーちゃんはお泊りするためにトランクに自分の荷物を詰め始める。 ひとつひとつメリーちゃんの持ち物が展開される。まさに物言う絵だ。その中にさりげなくビルが登場する。 トランクはメリーちゃんがおとうさんからもらったもので、きっと年代もののはず。茶色の皮の縁取りで、 留め金でパチン、パチンと二ヶ所とめるものだと思いたい。
こうつめて・・・・うん? ああつめて・・・・どれどれ? こんどはこうつめてみて・・・・ あれ?1ページ1ページの絵がメリーちゃんの奮闘を物語る。ついにメリーちゃんは出発する。 なんと、ビルを入れ忘れたまま!おいてきぼりのビル。どうするのメリーちゃん。どうするのビル! ここにくると、子ども達の額の眉間に皺がよる。読み手の私は心の中で言う。「いい!みんな、 ここからよ!」泣いていたビルは、猛然と立ち上がり、メリーちゃんが乗った列車を追いかけ始める。 走りに走る。足を伸ばし、地を蹴って、腕を振って。ぬかるみなんてなんのその、羊の糞なんて気にしちゃいられない・・・・だろう。 ビルはドーバー駅で、ついにメリーちゃんが乗った列車に追いつくのだからすごい根性だ。 「ふうっ・・」と溜息の子ども達。始めに「かしこいってなあに?」と聞いた子が「かしこいねえビルは。」 とつぶやいているのが聞こえた。答えは見つかったのだろうか。それは、確かめようもない。この子ども達のこれから長い未来への 道のりのなかで、泣くのをやめて走らなければならないことがあったら、子ども達はビルの同士になれるだろうか。少なくとも、 短めではあるが一応の未来が待っている私は、「こんなふうに走れたら。何かに向って走れたら・・・」と、ビルの同士になりたくなったことは確かだ。

この絵本を、読み聞かせたい年頃の子ども達には、トランクに自分の持ち物を詰めるという経験がほとんどない。 これはもう「トランクごっこ」をするしかない。ついこの間、身近な材料で簡単にできる自作のトランクを作らせてみた。 自分で作ったものにはかなりの愛着を持ってくれるはず。案の定、T君は作りながらも、「何いれるの?ねえ、何入れたらいいの?」と、 できたトランクに何を詰めるかで頭がいっぱいだったようだ。いつも帰る時には、自分のバックをお母さんに持たせて走り出すT君だが、 作ったトランクは手放さなかった。しかも、持ち手をしっかり握り締め、体に当たらないように少し前の方に出して歩いていく。 トランクを持った右半身が、かなり緊張しているように見える後姿に、思わず「走らないのよ!」と声をかけたくなったが、 その日ばかりはさすがにその言葉をグッと飲み込んでしまった。

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