小さい子向けに思えるこの絵本には、実に真面目で勤勉な生活を送っているぬいぐるみの「くま」が登場するのだ。
くまさんは、きちんと自立していてかなりのおとな。真面目、勤勉、地道の三拍子そろったなかなかのくまなのだ。 朝起きて、ご飯を食べ、働いてその日の糧を得、小さな楽しみを見つけ、ご飯を食べて寝る。くまさんは、 せきたんやになっても、ゆうびんやになっても、ぱんやになっても、この生活の基本を忘れずに毎日を送っている。 けれどもページをめくりながらよくよく見ると、やっぱりくまさんが、子どもである姿がなんとも心温まる。 ベビーベッドで寝ている時もあるし、読む本は絵本だし、高い所には届かないので台の上に上がることもある。 お風呂には、アヒルや船のおもちゃが浮かんでいる。絵本とはいえ、子どもと等身大のくまさんをよくここまで 真面目で勤勉に生活させたものだと感心する。
小さな絵本ながら、場面、場面の描写が実に細かく、壁にかかっている絵や、暖炉の上に飾っている物、日常の道具類から、 店の様子までじっくり見ていくとまさにイギリス。日常の生活や身の回りに並々ならぬ愛情を注いでいる作者自身の真面目さが くまさんをここまでにしたのだろう。

私は、5冊の中で、特に「せきたんやのくまさん」と「ゆうびんやのくまさん」の2冊を子ども達に読み聞かせるのが好きだ。 この2冊を読み始めると、子ども達が最初のページのある一言で、主人公のくまさんに急速に身を寄せてくるのを感じる。 「くまさんが、たったひとりですんでいました。」・・・「たったひとり」この言葉が子ども達の心の何かに触れるらしい。 とてもきびしい一言だが、この一言がまぎれもなくくまさんを自立させている。「たったひとり」ですんでいるなんて、 どういうくまさんなんだ。これから何をしていくのだろう。気持ちを寄せ始めた子ども達は、そのあと真面目に仕事をこなし 生活していくくまさんをいとおしく見守っていくばかりである。最後は当たり前でも確かな終り方、「くまさんはぐっすりねむってしまいました。」 子ども達には、安心すると同時に、最後の見開きのシンプルな美しさを味わいながら静かに絵本から身を引いていって欲しい。 すごいドラマが展開されるわけでもない。ハラハラ、ドキドキでもない。かわいそうでもない。よかったぁでもない。くまさんは、 ただ生活を送っているだけだ。なのに、どうしてこんなに満ち足りた気持ちになるのだろう。

昔見た映画の中で、「生きていくことは、生活していくこと」という主人公のセリフがあったことを思い出す。

今から10年ほど前になるだろうか、私の職場に、下北沢のある劇団の座長をしている青年がアシスタントとして 働いていたことがある。ご多分にもれず、劇団の公演の合間にいろいろなアルバイトをし、実家からは芽が出ないようなら諦めて 帰って来いと言われながらも、演劇に夢をかけた青年であった。ある意味、子どもと同じように夢の中で生きている状態だったの かもしれない。3,4歳の子ども達に「ゆうびんやのくまさん」「せきたんやのくまさん」を読み聞かせた時のこと、 子ども達の後ろで一緒にこの絵本を見ていた彼の眼が、妙にだんだん真剣になってきたことは感じていた。
その後の製作の時間には、ゆうびんやさんごっこで遊ぶために、絵手紙を描く手伝いをしてもらい、配達しあって楽しく遊んだ後、 彼は手製の郵便ポストをはずしながら、こう言った。「人間、地道にしっかり生活しなきゃいけないんですよね・・・」 私はたたんでいた机を足に落としそうになった。「え?」「いや、なんでもないです。」何かが私の頭の中ではじけたような気がした。
それまで、小さい子向けだと思いつづけてきたこの絵本。「幼い子の社会勉強のようだなあ」とまで思ったこともあった。 だが、くまさんの何かが彼の心のひだに滑り込んだのだろう。とんだところで、ある意味、人生を語っている絵本なのだと気がついた。 この絵本ってすごいんだ!子ども達にも、何らかのものをもたらすのだろうか。・・・
それからまもなくその青年は劇団の仕事が忙しくなり、私の職場から去っていった。下北沢の雑踏の中、布製の大きなカバンを肩から下げ、 バンダナを頭に巻いた青年が歩いていく。心の片隅に「くまさん」を抱えているなどと、すれ違う人たちは知っているはずもない。

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