洋書も日本語訳も、読み比べてみるとなおさらに、作者、絵描き、訳者の並外れた想像力に驚くばかりである。 私はどちらかというと想像力がある方とはいえないので、ここまでの力を見せ付けられると、自己嫌悪に陥ってしまう。
この絵本にストーリーといえるものはない。流れといえば、カングルワングルがすんでいるクランペティの木に、 この世のものとは思えないむちゃくちゃに不思議な生き物たちが集まってきて、月夜に踊る話である。

カングルワングルって誰?クランペティの木って何?ふらふらどり、ポブル、ドング、はったりねずみにびっくりこうもりってどういうこと? この本をまず自分で読んだ時、訳がわからなかった。どう理解していいか分からなかった。大人の悪い癖で理解しないと、 前に進めない。子ども達に読んでどうなのか。それも全く分からなかった。とりあえず読むのをしばらく避けていたのは、 なんとなく自信がなかったからだろう。
けれども、この本は、子ども達から絵本の味わい方を教えてもらった本のひとつだと今でも思っている。

ドキドキしながら、恐る恐る読み聞かせるうちに、自分が何だか楽しくなってきた。実際に子ども達を前に読み聞かせて、 初めて分かることもある。楽しいのだ!訳のわからないところがまた、楽しいのだ。Y君はこの本を聞きながら、あけっぴろげに「ハハハ・・・」と笑った。「なんだ?」「そりゃなんだ?」と連発する子ども達。最後には、「おバカな本!」とまで言い放った。それがY君にできる子どもなりの精一杯の表現だったのだろうが、鋭いというか、なんというか。そのとおり。この絵本はまるごと、「ナンセンス」というエッセンスがつまった詩を絵本にしたものだったのだ。しかも、この詩は、百年も前に書かれた詩だというから、言葉の生命力はすごい。
このナンセンスな詩をここまで絵にできる絵描きも天才だ。こんなにもめちゃくちゃにナンセンスな登場物を絵にできるなんて。 不思議な生き物たちの容貌のひとつひとつにしっかりとキャラクターをもたせながら、詩の言葉のイメージを追及しつくしている。 見るものを強引にでも、引きつけていく力強さに敬服だ。

作者、絵描き、訳者の想像力に圧倒されながら迎える最後の3ページの開きは、 登場物が「青ひひの吹くフルート」に合わせて愉快に踊っている。ナンセンスでかき回された後の静かな不思議が漂っていて、 心に残るようなある種のムードがある。絵本を閉じると、「パチン」と指を鳴らされて目覚めるような錯覚に陥って現実に戻る。 読んだ後には快い疲れが残っていた。

この絵本につまった想像力のおすそ分けをもらいたいと考え、クランペティの木をつくったことがあった。 子ども達が考える不思議の生き物を描き、木に貼り付けて踊った。「なんでも描いていいの?」 「どんなものでもいい?」と、次第に目を輝かせる子ども達。とんでもないものを描くかな? 思い切ってめちゃくちゃなものを考える時もあっていいじゃないか。と覚悟を決めて・・・
しかし、出来上がった絵は、「青ひひの吹くフルート」で踊るには十分美しい生き物達だった。 ほっとすると同時に、最後の絵本のムードをちゃんと受け取っている子ども達のしなやかな感性に驚いた。

前のページにもどる