世界に一冊しかない私の娘がつくったプライスレスの絵本。彼女が、国語授業だけを行う日本人学校補習授業校に通っていた時、夏休みの宿題で作った絵本である。
その頃、小学生になっても毎晩寝る前に、必ず本の読み聞かせをしていて、それが親子の静かな「脳の整理」のような時間だった。
かねがね、読み聞かせた物語が子どもの頭の中で、映像としては、どのように組み立てられているのか、知りたいものだと思っていた私は、絵本づくりの宿題が出た時、すっかり乗り気になっていた。
当時、「しずくの首飾り」は、何度も読んで聞かせたもので、娘も私自身もかなり気に入っていた物語。これを絵本にしようと決めるまでに、時間はかからなかった。
しかし、彼女は決して表現上手な子ではなかった。言葉でも絵でも。子どもに絵を描いてとせがまれても、戦闘機と軍艦しか描けない、馬を描いてといわれて、四苦八苦で描いた絵が、どう見ても犬にしか見えないという父親の血を引いた娘であった。
こう表現下手となると、「子どもの頭の中で話がどう映像化されているか」などど、分かるわけがなく、手の施しようがない。いかに、補習校夏休みの宿題とはいえ、実は自分も当時、補習校の国語教師でありながら、片や親でもあるわけで、手を出したいものの、出すわけにもいかず、なだめたり、すかしたり、怒ったり、励ましたり、ありとあらゆる手段を講じていかざるを得ない。



物語を要約するところから始めて、場面を決めるまではよかったが、絵を描くにあたっては、相当な苦労をした記憶がある。今でも、娘は「この場面では、ママは、こう言ったのよ」とか、「この手の描き方には苦労したわよ」とか、断片的に覚えているらしい。

絵を描かせながら、できていく絵を見て、「主人公の女の子は金髪のイメージなんだなあ」とか、「日常目にしているヒイラギの木は、葉っぱまで細かくイメージができあがるんだなあ」とか、細かいことに妙に感心したりした。家はレンガ造りだし、アラビアの王様とお姫様は、通っていたイギリスの学校での学芸会の衣装だし、結局は、彼女が当時、生活していた環境からイメージが生まれ、その生活体験からの映像化がされているのを思い知らされたわけである。




完成した時には、もしかしたら、親の私の方が疲れていたかもしれない。

親からのプレッシャーに耐え、どう我慢したのか、どう考えていたのかはわからないが、少なくともこの物語が、当時の娘の何かに火をともしていたからこそ、母親の圧力にもめげずに、完成にこぎつけたのだろう。

娘の部屋に、宝物のようにしまってあったこの絵本を久しぶりに見ると、あらゆる意味で作者ジョーン・エイキンに感謝するしかない。15年以上経って、娘も私も、自分主体の生活に明け暮れるようになり、まるでルームシェアをしている同居人のような生活にはなっているが、この物語が、なんとなく娘と私のつながりを証明してくれているようで、少し、ほっとしている。

娘が「この本、もしも私に娘ができたら、絶対読んであげる」とかなんとか、言ってくれたら、号泣ものだ。



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