この話の主人公は、まさに「ありがたいこってす!」という言葉を発するに、似つかわしい風貌の、貧しい大家族の主人である。この不幸な男は大いに困り果てている。狭い家に家族がひしめき合って暮らしているため、家の中にもめごとが絶えないのだ。

確かに。絵を見ると、相当の混乱だ。絵に文章以上の語る力がある絵本は、話に勢いをつけるものだが、この絵本の絵はこの男の生活環境を、ドラマの如くに表現している。家族ひとりひとりの生活の匂いまでが、伝わってくる。作者はこういう生活をしたことがあるのではないかと、思われるほどだ。子どもたちはけんかをしているし、おかみさんは、食事の世話をしながらも主人に文句を言っている。ほとほと困り果てているこの不幸な男に、絵本を読んでいるもの全員が同情するだろう。



男がたまりかねて相談に訪れたのが、ラビのもと。ラビとは、ユダヤの博士であり、先生である。年長者の知恵は深いというが、この偉いラビは、とんでもないことを、男に助言する。1回目は「え?」ぐらいの意外なことだが、2回目、3回目としだいにエスカレートしていく。「えーっ!」「そんなことしたら・・・・」と絵本に見入っていた子どもたちが声を上げる。と同時に、どの子の顔も、この男同様、困った顔になっていく。
このかわいそうな男の混乱と一緒に、読んでいる側も混乱に巻き込まれていく。その混乱を、絵がますます生活感を濃くしながら、追いかけてくる。ページからあふれんばかりに。すぐれた絵本は、強力な力を持つという。子どもを、話の中のものに身を置かせるという力だ。子どもたちはこの混乱の家の中に身を置き、男と一緒にラビの話を聞く羽目になったのだ。話に乗っかったということだ。



エスカレートする混乱は、大騒ぎとなり、しまいには、笑えてくるぐらいのあきれ果てた様相を見せる。男の悩みはちっとも解決の兆しが見えない。これからどうなるのだろう・・・・・ご心配なく・・・・
最後は、実にストンと落ちるような平和が訪れる。ものは考えよう。相対評価ということだ。いやはや、ラビの知恵はたいしたものだ。
子どもたちは、ほっとするというより、ポカンとした顔。
それまで、ゆかいそうに笑っていたY君だけは、最後に大声で笑い転げていた。Y君にとっては、ひょっとしたら、ばかばかしい大人の大騒ぎだと思ったかもしれない。
大人にとってはどうだろう。すくなくとも、Yくんの両親は、「うーん、まいったなあ!」と、呟いてしまったクチなのかもしれない。

一冊の絵本を読んで何を受け取るか。それが何なのか漠然としていても、この頃は、自分自身が何のツボにはまるのか、楽しみにしながら絵本を読んでいる。



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