月には「うさぎ」が住んでいる、というのは日本のお話。外国では、「カニ」がいるとも言い、「女の人」の顔が見えるとも言う。「月おとこ」がいるという国もある。ひとつの見方だ。ウンゲラーは「月おとこ」派である。
「よく晴れて、星の降るような夜には、おつきさまにのんびりとすわっている月おとこの姿がよく見えます。」この絵本は、こんな穏やかな始まり方である。
まあるい月に、いっぱいいっぱいに男がつまっている。月おとこの顔は丸い。とても純粋で、子どものような好奇心を持っている。絵本の絵からは、そう受け取れる。ひとりぼっちでは寂しかろう。



いつも見下ろしている人間世界にあこがれて、月おとこは流れ星を捕まえて、空からおりてくる。人間世界を楽しもう、というわけだ。しかし、ウンゲラーのブラックユーモアは、月おとこに甘くはなかった。地上は大騒ぎとなり、結局、エイリアン扱いの月おとこは、牢獄に入れられてしまう。脱出しなければ・・・今度はウンゲラーの、突飛だが確実な科学的ユーモアが、月おとこを救う。こうでなくっちゃ。

かといって、牢獄から脱出するだけでは、月おとこは救われない。なんとかして月に帰らなければ。かぐや姫ではあるまいし、迎えがやってくる訳ではない。自力で帰らなければならないのか。
そんな時、強い見方が現れる。ドクトル・ブンゼン・ダンケル博士である。名前といい、かけている眼鏡といい、すごく偉い博士にちがいない。ここでまた、突飛だが確実な科学的ユーモアが月おとこを救う。無事に月にもどることができるのだ。

最後のページには、無事に帰った月おとこが窮屈そうに月に収まっている。もう二度と人間世界に生きたいとは思わないだろう。始まりと同じように、まあるい月に、穏やかな月おとこがいる。同じ絵のようだが、お話が終わった後には、少し違った哀愁が感じられるのは、私だけだろうか。

思わず月を見上げる。欠けていく月、満ちていく月。
仕事帰りの夜に、自宅への坂道を上がる。
こうこうと輝く月を見て、ふと頭に浮かぶこと。
幼い頃、祖母が歌ってくれた「お月さんももいろ、誰がいうた、アマがいうた、アマの口ひきしゃけ・・」という歌。
昔、夜遅くに車で家に帰る道すがら、窓から夜空を見上げ「ママ、お月さまが追いかけてくるよ、一緒に帰るんだね・・・」と、娘が言った言葉。
そして、ウンゲラーの「月おとこ」の おちゃめでやさしい丸い顔。



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