この絵本は、短い話の中に、集約された感情の起伏が踊っている。このラルフが、にくたらしくもあり、かわいくもあり、かわいそうでもある。それにしても、周囲で見守るもののなんとおおらかで心広いことか。

セーラが飼っているねこは、「あくたれ」もいいとこだ。「あくたれ」とは、辞書で引くと、「ひどいいたずら、乱暴なこと」と書いてある。原題は、「ROTTEN」「腐った」という意味である。すごいタイトルだ。さすがの訳者、なんと見事な訳だろう。
ラルフの毎日のあくたれぶりは、始まりのページからこれでもかと、次々に7ページも続く。しかし、なんだか、心当たりがあるようなことばかり。パーティーのビスケットをひとかじりずつなんて、一度はやってみたいことではないか!お父さんに対しても、お母さんに対しても、恐れを知らないあくたれ所業は、エスカレートしていく。読んでいるうちに、評判のいたずらっ子さえ、「いけないねこだ。」と思わざるを得なくなり、かなり腹が立ってくる。サーカス見物に行ってからも、さらなるあくたれは続く。ラルフの味方はもう誰もいなくなる。



もうこれ以上腐った所業を続けたら!・・・というところで、とうとうラルフには過酷な罰が下される。その場に「サーカス」が選ばれたのは、これまたあくたれにはぴったりのシチュエーションだ。 サーカスは奇妙な世界、不思議な世界、そして厳しい世界。ラルフはそこでとことんしごかれる。自分を守ってくれる狭い世界より、外界はそう甘くないと知る。すっかり弱気で、あわれになったラルフ。サーカスから脱出できたとて、やはり世間の風は、かなり冷たい。おまけに、生ゴミ熱という、世にも恐ろしい名前の病気にかかる。しだいにラルフには、同情票が集まり始める。あんなに許せない所業を重ねたにもかかわらずだ。



やっとセーラのもとに帰ることができるラルフだが、さぞかし善良なねこになっていることだろう。・・・・のはずだが。教訓めいたところは微塵もない最後の終わり方。「ラルフ、やっぱりあんたはラルフだね。」




『ひとまねこざる』:岩波書店 『げんきなマドレーヌ』:福音館書店 『どろんこハリー』:福音館書店

絵本には愛される主人公がいる。おさるのジョージ、フランスのマドレーヌ、白に黒いブチのある犬のハリー、あげるときりがないのだが、それぞれが愛すべき主人公である。しかし、この主人公のラルフはどうなのか。

この危ないねこのラルフに寄り添いたい子どもはいるのだ。ある読み聞かせの時間、年長の子どもたちに、この絵本を読んだときのこと、案の定、ラルフのあくたれぶりにあきれたり、かわいそうがったり、最後には笑ったり、様々な表情を見せている子どもたちの最前列で、はじめから顔色ひとつ変えないで、真剣な表情で見ているS君に気が付いた。絵本を閉じたとき、S君はにじり寄ってきて、「その本見せて」と言う。本を渡すと彼は両手で抱え込んだ。なかなか返す様子を見せないS君に、おかあさんが返すように促すが、抱え込んだまま離さない。結局、一日貸してあげるということで話はついた。あくる日S君はあっさりと返してくれたのだが、その後、この絵本については、私にひとことも言うことはなかった。お母さんは、「あくたれラルフ」を買い求めたという。きっと、何度も読んでもらっているに違いないと思ったが、お母さんに聞くと、2,3度読んだだけだという。読んであげると言っても、「いい」と、言うのだそうだ。ただ、時々、ページをめくっては、眺めていることはあるという。
どんな顔をして眺めているのだろう。きっとまた、ポーカーフェイスに違いない。意地っ張りでプライドの高いS君にとって、あくたれラルフは、S君の心にあるどこかの部分が躍り出た化身だったのかもしれない。



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