この絵本に注目したのは、もとはと言えば、表紙の絵を見たときであった。
小さな絵本で、確かに日本のものだと確信できる表紙である。この表紙の絵に惹かれたのには、極めて個人的な訳がある。

私は、学生時代には染色が専攻で、当時、染める模様のデザインを、薄紙に鉛筆で下書きし、型紙に貼り付けて、カッターで切りまくっていた。然るに、このような黒の縁取りや、黒い線の構成に少々トラウマがあるらしいのだ。


学生時代の染色布

こちらも自作の布

藤城清治の影絵や、滝平二郎の切絵なんか見た日には、本能的に手にとってみたくなるようにできているらしい。この絵本の絵にトラウマを発症したわけではないのだが、なんとなく、そのあたりの心の琴線にふれるような気がして手にとってしまった。

表紙を開けると、見開きには小紋のような図柄があって、その中にまぎれもない青海波が描かれてある。またまたトラウマが刺激されてしまう。青海波というのは、もとは中国の青海地方の文様といわれ、鱗のような、海の波のような模様のことで、よく着物の柄に使われるものだ。当時、卒業制作で着物を染める時、いい加減な私の力では、どうしても型紙を切りきれなかった青海波だ。憧れの伝統的な日本のテキスタイル模様だ。



何にしろ、こんな楽しい絵本に出会えたのだから、私のトラウマも捨てたもんじゃない。
絵本の中身を読む前に、こうしてかなり伝統的日本文化のイメージが先に飛び込んできたことは、この絵本の言葉遊びが、わらべうたのごとく、歴史をもつもののように思わせることに成功している。それぞれの「ことばあそび」には、カルタを彷彿させるような構成の絵があり、谷川俊太郎の言葉遊びの妙を、重みがでるようにバックアップしているのだ。けれどもよく見ているうちに、ユーモアに満ちた、お洒落なイラストなのだと思えてきて、親近感がわく。

この絵本にストーリーはない。日本語の言葉の音や響きを、巧みに組み合わせた「ことばあそび」なのだ。それが、実に楽しい!この絵本は確かに、読み聞かせてもらうべきだ。読み聞かせる側は、何回か読む練習をしてから読み聞かせなければならないだろう。どうしても、読んでくれる人がいなければ、声に出して読むべきだ。しかも、何回も。 出てくる言葉の中には、大人でも普段使わないようなものもあるが、訳が分からないままでも、その言葉の組み合わせと、音の面白さで、子どもには、かなり楽しい。意味が分かる大人には相当に楽しく、すごく笑える。笑えない人はユーモアが欠如しているはずだ。



「ことばあそび」に登場するのは、「群馬のとんま」だったり、「青息吐息のたぬき」だったり、「墓を買った馬鹿」だったり。「四羽の鵜」も出てくれば、「さらうサル」も出てくる。それは、ひとつのキャラクターとして立派な主人公となっている。そして「十匹のねずみ」の登場だ。伏見のねずみは、目が悪いらしいし、熱海のねずみは、花見をする。はさみを盗んだねずみもいる。イラストのねずみの様子が、ユーモアをもって、言葉に真実味を与えている。こんなにいろいろな御当地ねずみがいるとは・・・・・
思わずクスクスと笑ってしまうが、その笑いはだんだんしつこい笑いに変化し、ついには、本を閉じた後、しばらくは、不気味な思い出し笑いまで出てくる始末となる。
子どもたちに読み聞かせたり、暗誦させたりしてみる。ちょっとまてよ、この言葉遊び、早口言葉でもいけるのでは・・・・ひょっとして、今流行りのラップといえないこともない。
子どもは耳で聞く。リズムを楽しむ、音を楽しむ、ひいては読み手の声を楽しむ。読み聞かせるお母さんの声の調子、抑揚と言葉運びは、大きくなっても耳に残っていくはず。親と子の絆の土台かもしれない。





前のページにもどる