子どもの自立の道は、まず、自分の身の回りへ、視野を広げることから始まるのではないかと思う。生きていく世界を、少しずつ広げていくのであるから、今まで何気なくあった回りの事柄が、意識の中に入ってくるということだ。自分が何に囲まれて生活しているのか、どんな出来事が起こっているのか。そうすると、「これ何?あれ何?」「どうして?」と、周囲の大人に対しての質問が始まる。これを逃す手はない。さて、どう答えていくか・・・迷うことはない。ありのままを答えてやることだ。子どもだと思ってごまかしてはいけない!お母さんお父さんは、子どもにとって有識者なのだから。

「りんごのき」の主人公マルチンは、ある日突然、自分の庭にある一本の木に気づく。ずっと前からあったはずのその木に、ふと疑問が沸く。推定年齢2、3歳、赤いほっぺの小さな男の子マルチンが、自分の身の回りのことに、少し視野を広げたとき、一本の木が、大きくクローズアップされた瞬間である。



その日から、マルチンはりんごの木の一年を、見守っていくことになる。
時間の経過と共に、りんごの木は、自然が定めたとおりのいろいろな表情を見せてくれる。その中で、マルチンはいろいろなものを見ては、訊ね、吸収し、考え、喜び、怒り、心配し、りんごの実がなることを楽しみに、大きくなっていく。
雪はさとうではないことを知り、うさぎが木をかじることを知り、みつばちはりんごの木にやさしいと知る。薬まきポンプや、じょうろを使うことも学び、嵐は、りんごにとって、ひどいことだと感じる。この間の、マルチンと両親とのやり取りは、おおらかで、温かい安心感で満ちている。マルチンにとっては、両親が、確実に誠実な有識者であることが分かる。親とは、このようにありたいものだと思う。
この絵本は、一年を通じた四季の移り変わりの美しさが主題だと思いきや、りんごの木をめぐるマルチンの成長記録なのではないだろうか。



絵は、派手さや豪華さはないが、しっかりとマルチンの目線で描かれていて、飽きることはない確実な絵である。久しぶりに、この絵本を手に取った娘が言う。「この木、こんなに小さかったっけ?ずいぶん大きな木だったと思ったんだけどなあ。」さては、マルチン目線で見ていたな。

私が特に気に入っているのは、文章が書いてあるページの左隅にある、ちょっとしたワンポイントの絵だ。この絵本は、左側には文章、右側に必ず絵があり、いずれも四角い枠の中に収められている。左にある文章の始めには、その場面のポイントとなるもの(例えば、カラス、うさぎ、ミツバチなど)が、小さく描かれている。作者の、絵本に対する、ひいては子どもに対する綿密な愛情の証だ。私には、左ページと右ページとが、お互いに呼び合っている気がする。
しかも、この絵にはすごい秘密がある。
ページをめくると、必ずりんごの木がある。雪が溶けて、葉っぱが芽吹き、花が咲く。葉っぱが茂り、実がなる。一年を通じてのりんごの木の様子が、定点カメラで撮ったように、進んでいく。いやそれが・・・。定点カメラではないのだ。ページごとに、マルチンの家の、垣根越しの景色が、明らかに違っているのだから。


その謎は、読み終わって、絵本を閉じた後ろの表紙で、明らかとなる。マルチンの家の周りは、四角く垣根に囲まれている。針葉樹の森と麦畑のすぐ横にあり、隣には、二軒のお隣さんの家が建っている。りんごの木をめぐる絵のアングルは、ページごとに違っていたのだ。マルチンがそうであるように、私たちは、マルチンの庭にあるりんごの木の周りをめぐりながら、見ていたことになる。すごい絵本だと思う。





子どもたちに読む。りんごの木の一年を、みんなはマルチンになって、楽しんでくれただろうか。年長の男の子ばかりのクラス、かなり描画力も上がっていた。よし、マルチンの四季の絵を描いてみよう。子どもたちが描いた四場面の絵は、心に残るすばらしい絵だった。






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