闇の夜だ。黒い画面にブルーのシルエットが浮かぶ。上の方に、ポツリと小さな黄色の「ともしび」が見える。ページをめくっても、めくっても、その「ともしび」には、なかなか行き着かない。画面のブルーのシルエットは、バランスを崩したかと思うと、またうまくつり合い、安定と不安定を繰り返しながら、妙に神経をざわめかせる。。


やっと「ともしび」の正体が分かった頃には、夜が明けてくる。
夜明けには、トレーシングペーパーの朝もやがかかり、すでに私たちは、小さな存在となって、不思議な草むらの中をキリギリスや、かたつむりとすれ違いながら進んでいくことになる。蜘蛛やムカデさえも、通りすがりの景色の中に溶け込んでいる。
唐突に、砂地に出ると、ページに穴があいていて、洞穴が現れる。確かに洞穴だと分かるのは、7ページにわたるごつごつの穴が、ずれたり重なったりしながら奥行きを感じさせるからだ。かなり計画されたデザインに、ため息が出る。勇気がいるけれど、やっぱり洞穴には入ってみたい。何かが出たらどうしよう・・・・。得体の知れない、博物館のような洞窟をうろついて、どのくらい経っただろう。
洞穴を出る頃には、また闇の夜になり、短くて深いたびの終わりを、あの「ともしび」がたくさん出迎えてくれる。


私が、生まれてから小学生の頃まで住んでいた家の近くに「比島山」という小さな山があって、近所のガキ大将を先頭に、よく遊びに行った。神社があって、太くて大きな木が茂り、うっそうとした藪があったり、崖があったり、遊ぶには不自由しない宝島のようなところだった。今で言えば「トトロ」が住んでいそうな山だったと思う。そのころには、天狗が住んでいるという噂だった。小さな自分は、背の高い草むらの中を、ガキ大将に遅れをとるまいと、必死で草をかき分けて進んだ覚えがある。いろんな虫がいたり、カエルやトカゲは当たり前、鳥の死骸にもたびたび出くわした。もちろん洞穴は、いたるところにあいていた。子どもというものは、なぜか、穴があったら入ってみたいものだが、突き当たりが見えない暗闇の洞穴に挑戦するのは、かなりの勇気がいる。私はどうしても入ることができないちびっ子組で、勇気ある年上の男の子たちが出てくるのを、入り口で待っていた。家に帰ってから、洞窟の中には何があるのか、いろいろ想像しても、その頃の私には、せいぜいで、宝物があるとか、川か池があるとか、鍾乳石が上からぶら下がっているとかを、思いつくことしかなかった。
こんな、センス溢れる優れたデザインの絵本を読みながら、なぜか、その頃の泥臭い思い出がふと蘇ってきた。「比島山」は、それから何十年かして、すっかり崩されてなくなり、今は住宅が立ち並んでいる。




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