田園都市線「たまプラーザ」駅は、東京のベッドタウンで、乗降客が極めて多い、横浜の山側に位置する駅である。デパートや大型スーパーが並び、おしゃれなレストランやブティックが進出し、たくさんの人が往来する。人が集まる街に必ずあるマクドナルド、ドトールコーヒーはもちろん、最近では、駅前にあるのが当たり前になったスポーツクラブもある。




私が、30年前に、この街の住人となった頃は、掘っ立て小屋のような駅が建っていた。  
忘れもしない。初めて駅に降り立ったとき、目の前には、ススキの原っぱが、広がっていた。風が吹きすさんでいた。空気は乾いていた。やけに埃っぽい。その向こうに、とってつけたような4階建ての団地が見える。右には、農協の野菜売り場や、ちょっとした商店が並び、丘に沿って、木々の間から社宅らしい建物が、ぽつんぽつんと散らばっている。
唯一の街の印といえば、なんでこんなところに・・・というぐらい立派な大型スーパー「イトーヨーカドー」が建っていたことだった。「近日開店」の垂れ幕が、風にはためいている。午後2時ごろ。人通りは、あまりなかった。ちなみに、後日開店したこのスーパーの、セールの目玉は、1個10円のキャベツだった。  

私が住んでいた社宅は、丘の上にあって、部屋のベランダからは、障害物もなく、たまプラーザの駅が遠くに見通せた。その頃、周りに知り合いもなく、孤独な新妻だった私は、夫の帰りを待つだけのきわめて情けない状態だった。夫からの「帰るコール」があると、電車が着く時間を見計らって、ベランダに双眼鏡を持ち出し、駅の方を見ながら、夫の姿を探したものだった。街の明かりは、駅を中心に、商店街に少しばかり広がっているだけ。星がよく見えた。


春には、駅からの若いサクラ並木に、まばらな花が咲いた。夏には、駅前のススキの原っぱで、盆踊りがあり、家まで太鼓の音が聞こえた。秋には、街路樹の枯葉がやたらに多くて、靴の裏にぎっしりつまった。冬には、雪が積もった社宅の裏庭に、ウサギが出た。夜空にはオリオン座がよく見えた。


「ちいさいおうち」の幸せな丘での生活のように・・・・


日は登り、日は沈み、今日が過ぎると、また次の日がきて、季節は流れ、掘っ立て小屋だった駅は、建て替えられた。ホームも広がり、駅前にロータリーができた。
3年ばかり経って、娘が生まれたときには、駅前のススキの原っぱは、東急デパートとなった。それをきっかけに、周りに家が建ち始め、あっという間に、社宅までの丘には、マンションが立ち並び、建物と木々の割合が逆転していた。行き止まりだった道路は、丘を崩してつながり、それと共に、住宅地は、奥へ奥へと広がっていった。




朝には、駅に着くバスからたくさんの人が吐き出され、ホームに人があふれた。昼間には、ベビーカーを押した主婦が行き交い、デパートの駐車場には、入り待ちの車の列ができた。夜には広がった商店街の明かりで、星は見えにくくなった。街は確実ににぎやかになっていった。


「ちいさいおうち」の周りが、変わっていったときのように・・・・


今では、コンビニやカラオケ店の明かりが夜通しついているし、夜遅くまで人の往来が絶えない。駅周辺の建物は、立派なきれいなビルに立て替えられて、あの農協の野菜売り場には、奇怪な鉄のオブジェが座っている。そしてついに、たまプラーザ駅は、表も裏も、駅ビルの建設にとりかかっている。大きな地下室を掘り、鉄骨が高く組まれて、空中廊下が通り、駅の上に覆い被さるように工事が進んでいる。 一大商業施設と一体化された駅に、生まれ変わろうとしているのだ。





「ちいさいおうち」が、昼も夜も分からなくなったように・・・・



こうして、私が住んでいる街は、絵本「ちいさいおうち」さながらの物語となっている訳だ。もしかしたら、誰でも、自分が住んでいる街のことを思えば、「ちいさいおうち」と同じ物語があるのかもしれない。
いやいや、地球上のあらゆるところで、「ちいさいおうち」の物語が繰り返されているといえはしまいか。

絵本「ちいさいおうち」は、私が子どもの頃に読んだお話である。その頃は、「なんと不思議な話だろう。」と思っていた。
地球規模で、環境問題が大きくクローズアップされている今こそ、50年以上前に書かれたこの絵本が、大いにものを言うことに驚く。バージニア・リー・バートンの、問題意識と洞察力が、その時代でいえば近未来SFのような絵本をつくってしまったのだ。これは、これからの人類の最大の問題になるかもしれない。





 
「考えすぎだよ。」とバージニア・リー・バートンは言うだろう。

 この絵本を読むと、そこに託された子ども達へのメッセージ
  は、やさしく、愛情にあふれていて、ドラマチックであるもの
   の、深刻さはほとんど感じられない。 丸く配置された表紙
    のひなぎくたち、にこにこと空を横切っていくお日様、移り
     変わる四季の それぞれの見事な色合い。それに対して、
      迫力で迫ってくる都市のモノクロの景観。
          バートンの絵は文章以上のものを語っていて、最
           高に美しい。 特に、最後の2ページの、ちいさいお
            うちが引っ越した幸せな 場所の絵は、じわじわと
             暖かい空気が胸に広がってくる。 バートン得意の
              うねるような文章のレイアウトと、 そこにちりばめら
               れた細かい絵が、
                
                   「幸せな場所は、まだまだあるさ。 心配ないよ。」
                    とささやいているかのようだ。

                       幸せに暮らせる場所は残っているのだ。この絵本の読み聞か
        せを楽しんでいる、未来を背負う子ども達にとって、どこが幸せ
         な場所なのか、そんな場所をしっかりと私たちは残すことがで
         きるのか・・・・・


               ちょっと深読みをしてしまった。





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