イギリスで、ペグドールという人形を知った。昔の木製洗濯ばさみを使ってつくる人形で、とても小さい人形だ。おそらく、この絵本の人形は、大きさといい、雰囲気といい、手足はしっかりついているが、ペグドールに近いものではないかと考える。素朴で丈夫、押し付けがましい愛らしさはないはずだ。
ポケットに入るぐらいの大きさのこの人形は、間違えて、捨てられてしまう。それも、スーパーの冷凍庫の中に、真っ逆さまに落ちる。人形は一人ぼっち。かなり悲惨な状況で、首をうなだれ、悲しそうにじっと動かない。周りは、冷凍グリンピースの箱の山。(イギリスのスーパーの、冷凍食品売り場では、冷凍グリンピースは箱入りで、売り場のかなりの部分を占めていた。)さぞかし寒かろう。
ところが、この人形、迷子になったのは、これが初めてではないらしい。今までも、かなり苦労をしてきたせいか、少したつと、自分が置かれた状況を見極めようと、行動を起こす。かなり、前向きの人形だ。そのたくましさに、ちょっとユーモアさえ感じる。冷凍ほうれんそうやミックスベジタブルの箱の間をぬって、人形がたどり着いたのは、冷凍いちごとアイスクリームが置かれている場所だった。おいしそうだ。ちょっと明るい兆しではないか。


「人間、万事塞翁が馬」、大変な目にあったとしても、本人の考え方しだいで、切り抜けられることもある。たくましくもけなげなこの人形は、凍えるような、世間の風の冷たさにもめげず、幸せを掴むまで。明るく強く、じっと耐えていくのだ。




やっと人形に気づいてくれたのは、小さな女の子。だが、気づいてくれたからといって、すぐには拾ってはくれない。この女の子は、母親と共に、かなり品がいいとみえて、人のものかもしれないこの人形に、すぐに手出しはしないのだ。お人形の方も、すぐに「助けて」と言わない。慎み深いのだ。
ここから始まる、女の子の人形への思いやりのプレゼントは、人形遊びをしたことがある女の子には、たまらなく楽しい。また、それを受け取るお人形の、一人前のかわいらしさといったら、絶対に子どもに読んでやりたくなる。
人と人との絆が、時間をかけて温められていくように、人形と女の子は、お互いを認め合い、想い合い、親交を深めていく。
このやりとりがあってこそ、お人形が、本当に女の子の家に引き取られたとき、二人は、対等の関係でいられるのだろう。
それにしても、このスーパーの店員の、なんと感じの悪いことか。「小公女」に出てくるミンチン先生ようだ。




子どもの頃、私は確か、布に二つの穴を開けただけの洋服を作って、人形に着せた覚えがある。母が見るに見かねて、人形にぴったりの、すてきな小さな洋服を作ってくれた。ちゃんと、袖にフリルがついていて、ギャザーで膨らんだワンピースだった。ご丁寧に、後ろでホックを止めるようになっていた。同じ型のワンピースは、今では、かなり哀れな状態になってしまった、娘の「teddy」キティちゃんのぬいぐるみが着ている。







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