NO.8 Japan/前回に続き今回も国内工場編、滋賀県です。


近江と呼ばれるびわ湖の東、湖東地方では、すでに鎌倉時代から農業のかたわら、機織りが始まったといわれています。その後近江商人によって、全国に広められた質のいい麻布は、近江上布としてブランドになりました。江戸時代には藩が副業として奨励し、ほとんどの農家には織機があったそうです。
今もこの地方では、古くから法衣用の上布を苧麻から織っている工場や、明治以降主に資材用の麻布を織ってきた工場など、多くの麻織物工場が広い範囲で点在しています。

琵琶湖方向には平坦な田園地帯が広がり、背後にはすぐ鈴鹿山脈が迫る、美しい風景が続きます。田舎とはいっても、田んぼの中の道を行くと、立派な近江商人の生家があったりする、とても歴史を感じさせる地域です。近江商人は、呉服や蚊帳や麻布などの繊維関係で成功し、現在の商社や百貨店の中にも、近江商人にルーツをもつ会社が多く存在しています。


「毎度おおきに、暑いのにご苦労さんです。」と出迎えていただき、ハタバへと案内されました。
お盆前ということで、工場に人影もまばら。やはり夏に需要の高い麻織物は、製造に関しては秋から冬にかけてが最も忙しく、お盆前後が一番暇になるそうです。





戦前に建てられた工場、蔵、この電灯は使っているのかなあ。捨てるようなことがあれば、譲ってくださいね。





年季のはいったシャトル織機は、シャトルにはいった糸が無くなるたびに機械がとまり、人の手で交換されます。こうして味わいのある布ができあがっていきます。織機は時間がかかります。


目で見える速さで織られるシャトル

古いだけに織機のメインテナンスは大変です。みんなそれぞれ機械に関しても、知識があるそうです。使われなくなった織機は、稼働中の機械の部品交換のために、まとめて残されています。少しずつ少しずつ壊されていくのは辛いことですが、仕方ないですね。





創業何年ですかと聞いたら、笑いながら「それがよくわからんのですよ。」と答えられました。「この辺りでは、どこの家にも織機があって、機織りが日常的なことだったのだと思います。そのうち先代が機械を入れて、家で織るかわりに、ここで織ったらということで、自然に集約されて工場になっていったようですよ。」確かに官営工場とかと違って、何年に創立とかじゃなく、もともとあった家内制手工業から発展したようです。





本館の建物は戦前に建てられたそうです。
「昔のハタバの写真とかないんですか」と訊いたらまた笑われて、「そんな、昔の人は普通に働いているところの写真なんか撮ってないですよ。みんながかしこまって撮った集合写真とかは何枚かありますけど。」確かに、実家にある古い写真は、みんなカメラに向かってポーズばっかりだったと思い出して、納得しました。

昭和30年代から40年代にかけては繁忙を極めたそうで、敷地内にはその頃建てた3階建て鉄筋の寮が残っています。その後はオイルショックや、ドルの変動などで産業全体が縮小し、稼動する設備も徐々に少なくなったそうです。




縦糸を整経し、杼(ひ)を通しています。古い機械が活躍し、多くの手作業が残されています。すべて熟練を要する作業です。




糸に糊付けする装置、デンプン糊をつけることで、糸が切れにくくなり、整経などの準備段階が容易になります。リネンの場合は、よほど細い糸でない限り、糊付けすることはありません。ここでは、主に綿糸に糊付けするのに使われています。糊をつけた後は乾かすので、大きなボイラー室も必要です。



他の工場と同様、人数は多くありません。



横糸をまく機械は調子悪し。




別の形の横糸の巻き。





井戸から汲み上げた冷水を天井に流して、エコ冷房しています。働いている人には十分でないかもしれませんが、私たちにはとても快適でした。





明日は年に2度の大掃除の日、お盆休みとお正月休みの前日にします。掃除道具は自前で作ります。これからこの笹を竹にくっつけ、高いところもきれいにするそうです。ずっと昔からこうやっていたということで、またまたエコです。


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