子どもアートの窓




「これなあに?」「ろうか」
なるほど横になぐっている。


「これなあに?」「バナナ」
「これは?」「メロン」「おいしそうね。」
「これはいちご?」「ちがう、ママ」「あらま!」


話を聞いてあげよう。どんどん言葉は出てくる。子どもたちはそうやって、自分が見出した意味を確かめているらしい。 手を動かしてできた結果(点や線や塊)に、自分の頭の中にあるものをあてはめていくのだから、これは、相当想像力を駆使しているということだ。



「おうちとママとパパと私」
このあたりになると、ありがたいことに、分かりやすい。


「これ、アリ」「う~ん、言われてみれば・・・」
もしも、「ブタ」とか言われたら、ブタだし、ネコと言われればネコだ。大人の想像力はついてはいけない。
単なるぐるぐるまるにしか見えない。


「ママがおかしをたべているところ」





「まる」が描けるという楽しみができると、とうとう顔が現れる。
何度も何度も顔を描いて楽しむ。もういいんじゃない?と言いたくなるぐらいかわいい顔が並んでいく。ほうっておくと、何枚でも描きそうだ。
「鼻がないね」「髪の毛描いて」は言うまい。言っちゃいけない!楽しく自由に描こう。ものを見る目が育てば、描くときがくれば描くはず。
子どもがものの形を認識していく助けをするのは、また別のお話なのだ。




最近の子どもたちの中には、こちらの奮闘もむなしく、なかなか描いてくれない子もいる。
お母さんに、家での様子を聞いてみると、クレヨンにしても、鉛筆にしても、あまり持ったことがないという。今からでも遅くないから、自由にたくさん描かせてあげてください。あくまでも自由に。そして、指図はしない。お話しをよく聞いてあげる。

最近の親は、パソコンに向かうことは多くても、子どもの前で、物書きをする機会が減っているのか?
それとも、いろいろなおもちゃが豊富で、日常身の回りにあるものは、遊びの中に入ってこないのか?子どもにとっては、筆記用具は単に面白そうなおもちゃにすぎず、それを、親が気軽に与えるか、避けるかによって、「なぐりがき」が始まるか、始まらないかが決まるかも知れない。
地面はアスファルトだし、棒で土の上に描く機会もあまりない。第一、棒が転がっていない。
砂場は不衛生だから入らせない。したがって、手で砂に筋をつける楽しみを知らない。
積み木よりも、パズルを優先させる傾向にある。
子どもを取り巻く環境は、充実してきたようで、肝心なところが抜けてきているように思うのは、私だけだろうか。


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