子どもアートの窓


どちらのおもちゃも、自分でつくったものだけに、できあがって遊ぶときのわくわく感は、期待と不安がいりまじって、ちょっと普段と違ったものになる。成功すれば、大きな喜びが湧いてくる。 この瞬間に感じる達成感は、次への意欲につながるはずだ。

遊び始めると、子どもたちが必ずいう言葉がある。 「ねえ、見て!見て!」 何度も、そう言いながら遊んでいる。自分がつくったものが、いかにうまく働いているのかを認めてほしいのだろう。




中には、うまくいかない場合もある。また、遊んでいるうちにうまくいかなくなったりもする。 そうなると、 「先生、できないよ、壊れてるよ。」 と、すぐに助けを求めてくるのが子どもの常だ。 「おかしいね、どうしてだろうね。どこかおかしいのかな?」」 と、投げかける。それが、原因究明の発端になればいいと思う。 自分でつくったものは、自分で直す。これが鉄則だ。 「どうして動くか。」「動かない原因は何か。」 考えながらの工作が、私の目指すところだ。必死で直している子には、救いの手を差し伸べたくなるが、いやいや限界まで手出しはしない。



今子どもたちは、それはもう、いろいろなおもちゃを手に入れることができる。画面に向かって、指先ひとつでものすごい世界が広がっていく遊びも、小さいころから、楽しむことができる今の世の中だ。
一方で、木のぬくもりを大事にしようという、デザイン性の優れた、木のおもちゃもあれば、複雑なパズル型の知育おもちゃもある。
それもいいだろう。だがぜひ、自分でつくったおもちゃで、遊びを広げていく工夫も経験して欲しいと思う。
機能を考えたうえでの物つくりは、ものの見方や、問題解決の姿勢を養う。

ところで、つくった後、さんざん遊んだおもちゃは、壊れ、いつの間にか、部屋の隅に放っておかれる。それでいいと思う。執着しないで、次に向かう。私は、そんな子どもが好きだ。