絵本をあれこれ読んでいると、大人でも「う~ん」とうなって、感心するほど人生を言い当てているものに行き当たることがある。どこにツボがあるのかは、それぞれ違うのだろうが・・・・その絵本に、それだけの深い内容があるということなのだろう。

絵本は、子どもに向かって読み聞かせることが多い。読む側は大人で、それも、年齢層は幅広い。若いお母さんもいれば、私のように子育て終盤組もいる。そういう大人までもが楽しめるというところが絵本の魅力のひとつでもある。子どもから大人まで、それぞれの人生途中で、本を読んで受け取る感情や、考え方は千差万別であるから、はまるツボはおのずと違ってくる。
絵本は何らかのメッセージ性を持っているのだろうか。そんなことを深く考えていると、絵本は楽しめないというのが、私の持論ではあるが、この絵本を読んだときは少しばかり違っていた。




『ありがたいこってす!』:童話館出版


はるさんは、Y君のお母さんである。Y君は、以前登場した、ワンパクながら感受性豊かな男の子だ。私は、教室で読んだ本について、必ずお母さんたちに紹介をさせてもらうことにしていたが、はるさんは、紹介した本を必ず手に入れ、家庭でとことん楽しんでくれるお母さんのひとりだった。一家で、絵本の魅力に取り付かれていたと、言っていい。
厳しい批評家でもあり、現役バリバリの子育てママでもあるので、絵本の感想もさることながら、読んだときのY君や弟の反応、様子など一部始終をよく話してくださった。私もそれを楽しみにしていた。
たくさんの絵本を紹介したが、Y君のお気に入りになった絵本もあり、ただ過ぎ去ったように思える本もある中で、「ありがたいこってす!」は、Y君よりも、このはるさんの方が、なんらかの衝撃があったらしい。ツボに当たったのだ。
絵本を紹介して、しばらく経ったときのこと、「先生、あの絵本、うちのバイブルですよ。」と言う。大変仲のいいご夫婦なのだが、ご他聞にもれず、時折、はるさんが、ご主人に不平不満をぶつけることがあるという。すると、ご主人が静かに、(まるでラビのように)言うようになったらしい。「はるちゃん、子ども部屋に行って、『ありがたいこってす!』 を読んでおいで」
・・・・ん?ということは、お父さんも、この絵本に何かを感じていたわけで。笑いながらこの話をするはるさんの、楽しそうな笑顔を見たときには、子どもたちに読み聞かせていたときとは違って、なぜか、ちょっと悔しいような、うらやましいような感覚にとらわれたことを覚えている。
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私の二人の娘は本が好きです。特に上の娘は、いわゆる本の虫で、常時何冊かを平行して読み、活字であれば 新聞から包装紙までなんでも読む子供でした。長じていまは言葉の研究をしています。
さて、彼女がそんなに本が好きになったのは堺谷寛子さんが主催されていた「きらきら文庫」に1歳から6歳まで通っていたからなのです。三つ子の魂百までとはよく言ったものです。
堺谷せんせいの読み聞かせを輪になって身を乗り出して聴いていた子供たちの食い入る面持ち。
  私にとってはその情景はもう遠い昔のこととなりましたが、堺谷せんせいはその後もずっと彼らを恍惚の世界にいざなう仕事を続けています。
きっとせんせいは、子供たちのその眼差しの虜となっているのに違いないと私は思っているのです。




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