絵本を読み始めた子どもたちに、真っ先に届けたい絵本が三つある。ジョン・バーニンガム作「ちいさいえほん」シリーズと、せなけいこ作「いやだいやだの絵本」シリーズ、そして、ディック・ブルーナの「子どもがはじめてであう絵本」シリーズである。

『ちいさい絵本』
ジョン・バーニンガム 作  谷川俊太郎 訳
冨山房 1976年
『いやだいやだの絵本』
せなけいこ さく・え
福音館書店 1969年


子どもに、本格的な絵本の読み聞かせを始められるのは、2歳をすぎた頃からだと思う。それより早くても、なかなかお話としては、入っていかないかもしれない。どうせ絵本に親しむなら、ただ、かわいくて甘ったるいだけの絵本よりも、確かな見ごたえと、読みごたえの絵本を読んであげて欲しいと思う。子育てと同じで、親の価値観が、それはもう見事に、わが子に影響を与え始めるのだから・・・・と、今なら身にしみて分かる。



ディック・ブルーナといえば、有名なキャラクターを、世界中に親善大使のように遣わした作家である。ふたつの点と小さな十字でできた顔、素敵な形の耳を持ったうさぎ、「うさこちゃん」。またの名を「ミッフィー」という。私は、石井桃子さんが訳した「うさこちゃん」という名前が気に入っている。日本人なら、絶対に「うさこちゃん」と呼ぶべきだ!と頑固に思ったこともある。


「うさこちゃん」の絵本は、「子どもがはじめてであう絵本 第1集」であるが、お話の内容は案外難しい。1ページに4行で、しかも韻をふむこと。そして、子どもたち向けに、分かりやすい言葉を、わざわざ使わないこと。という、ブルーナ自身のこだわり故なのかもしれない。単に、かわいいからといって油断がならない絵本なのだ。

順序を踏むならば、絵本を読み始めの小さい子どもに、まず読んでほしいのは、「第3集」の方だ。4冊とも、大変分かりやすい内容でありながら、お話の起伏は十分にある。
ブルーナの絵本は、必ず12場面でできている。縦と横が15.5センチの正方形。これも、こだわりに違いない。もっと大きければ、まのびする。小さければ、インパクトが薄れるというものだ。絵本作家にとっては、大きさも芸術のひとつなのだろう。
主人公であるさかなや、ことりや、あひるが、一切無駄のない究極のシンプルな絵でありながら、完璧な物語となって、子どもたちを楽しませてくれる。


ふしぎなたまごからはあひるが生まれ、ちいさなことりは牧場で遊び、ちいさなさかなは女の子を助け、こねこのねるはインディアンの国へ。小さな絵本の中で、気持ちがいいほど無駄を省かれた主人公たちは、1ページに大きく、しかもいい位置に、形を崩すことなく描かれているだけなのに、思いっきり冒険を楽しんでいるように見える。
私が一番好きなのは、「ちいさなさかな」だ。


緑の小さなさかなは、12場面中、5場面も出てくるが、どれも形に変化はない。ただ、向きが違っていたり、一粒の涙があったり、目がちがっていたりするだけだ。それなのに、このさかなの勇気や、悲しみ、やさしさ、幸せがわかる。


ものごと、ごてごてと飾り立てれば立てるほど、本当の姿が見えなくなるものだと思うが、逆に、シンプルになればなるほど、ごまかしのきかない精密さが要求される羽目になる。そういう厳しい世界を求めてやまないディック・ブルーナは、その容貌からは、想像もつかないほどの厳しい精神世界をもっているに違いない。





年少組の初めには、この絵本たちを、必ず読むことにしている。子どもたちは、まだ絵も描けなければ、はさみもあまり使えない。それは百も承知である。けれども、絵本を読んだあと、紙コップとセロファンで、緑のさかなを作ってみる。たこ糸をつけてあげると、引っ張って遊んでいる。
割れる卵の仕掛けを作ってみる。あひるぐらいは、描けそうだ。
きいろいことりを描いてみようか?マジックなら筆圧がなくても大丈夫。それなら、パーツに分けて組み立てて、鳥かごに入れて連れて帰ろう。
インディアンの羽の帽子をつくろうか?みんなでかぶって、インディアン踊りをしよう。





ブルーナのシンプルな絵に触発されて、子どもたちは、何のためらいもなく、誘われるように製作に入っていく。私の方はといえば、子どもたちの製作力に感心しながら、赤いほっかむりで、紙コップのさかなにパンくずをあげたり、インディアンの酋長になったりと、不覚にも自分が思いっきり楽しんでしまった。

やがて、製作活動に慣れてくるころに描いた、うさこちゃんの絵は、ブルーナ顔負けのシンプルなものだった。




ブルーナのことをもっと知りたい人は・・・





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