昔話について語ることは、私にとって、聖域に踏み込むようなものであった。
私の本棚部屋には、当然のように昔話の本も並んでいるわけだし、それを、子どもたちには、さんざん読んできた。
昔話は、文句なしに面白い。何回聞いても、飽きることはない。確実に、子どもの心を捕える。ということは、身にしみて分ってはいた。
しかし、あまりに重厚な言葉文化であり、恐れおおくて、昔話について語るには、よほどの覚悟がいりそうで、足踏み状態が続いていた。まるで、迷路の入り口に、立っている気分だった。
迷路を完全に抜けるのに、一番確実な方法があるという。それは、入り口から、壁の片方に手をついて、その手を離さずに、その壁に沿って、どこまでも進んでいくことだ。そうすれば、どんなに時間がかかろうとも、必ず、出口にたどり着くのだそうだ。確かに。

「本棚部屋から」の最後にあたり、やっと、勇気を出して、取り上げてみたのは、とりあえず、片方の壁に手をついてみた程度なのかもしれない。
でも、意外なことに気がついて、迷路の中に入っても大丈夫な気がしている。


「昔話は、子どもに何をもたらすのだろうか。人に対する威力は何か。」
という、謎について、答えの一端が、自分の中にあるんじゃなかろうか・・・。と思い始めたからだ。
子どもの頃に、昔話をたっぷり聞いたり、読んだりして、大人になったのは、他ならない私自身なのだから。
「昔話のなんらかの威力は、私に及んでいるのだろうか・・・」
そういうことを考えるのも、なんだか、楽しくなってきた。
何にしても、迷路も悪くない。
頭の中のもやが少し晴れたような気がする。



本棚部屋から」は終了ですが、堺谷せんせいのコーナーはまだまだつづきます。


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