私の生まれは、南国高知で、冬でも雪が降ることは珍しい。子どもの頃の雪の思い出といえば、小学校のとき、校庭にレースを敷いたように薄く降った雪に狂喜して、友達と雪合戦をしたことだ。雪合戦というよりも、泥合戦といった方がよかったのかもしれない。洋服は泥だらけになり、走り回っているうちに、雪はいつの間にか消えていた。なんだ、つまらない。雪が積もって、何もかも隠してしまうなどということは、本やテレビで見ても、別世界のことに違いない。と思っていた。海を見たことがない山岳民族と同じだ。子どもの頃は、四国山脈に阻まれ、他の土地に行ってみるなどということは、庶民には考えにくい時代だったのだ。



その後、本格的に雪と戦ったのは、イギリスに行ってからのことだった。先に赴任した夫のもとへ、幼い娘を連れ、覚悟を決めて旅立った。まだアラスカ回りの空路だった頃だ。ヒースロー空港からリムジンに乗り、夫の案内で自宅に向かう。景色もなにもありゃしない。回りは雪に埋もれている。メインの道路は車が走れるが、小さな路地にはとても入れない。仕方がないので、途中でリムジンを降り、自宅に通じる路地を、荷物を抱え、幼い娘の手を引いて、膝まで雪に埋もれながら歩いた。いったいここは何処?こんなところで私はこれからどうすればいいの?行く手を見ると、段ボールを担いで進んでいく夫の背中が見えた。その先に雪をかぶったレンガつくりの建物が見える。それが、我が家だった。イギリスに着いて、一番初めの私の仕事は、家からメインの道まで、車が出せるように道をつける雪かきであった。




『「けいてぃー」はたらきもののじょせつしゃ』:福音館書店


例えば、とうもろこしを食べるとき、真ん中だけを一回り前歯でかじると、右と左にとうもろこしが、分かれること、リンゴを丸かじりしたときに前歯の後がつくこと、シチューを食べた後に、お皿に残った茶色のとろみをパンでさらうと白い皿が見えてくること、通販の掃除機のパフォーマンスで、見事な埃だらけの床を、掃除機の吸い込み口が、道を開くがごとく進んでいくこと、そんなことに快感を覚えることはないだろうか・・・
雪かきには、そんなことと同じ快感があると、イギリスでの初めての雪かきで知った。「けいてぃー」は、そんな私の快感を、最も刺激する絵本である。

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『はじめてのゆき』:福音館書店


新年を迎えると、冬も本番で寒くなる。雪が降る確率も高くなるので、雪の絵本が読みたくなる。
絵本は何歳ぐらいから読み始めるのだろう。最近のお母さん方は、早ければ早い方がいいと思っているかもしれないが、絵本を、めくって楽しむおもちゃとしてではなく、見て、聞いて楽しめるのは、2歳を越してからだと私は思っている。2歳半ぐらいから読み始めたとしたら、年少の子どもたちは、一番大切な、絵本年齢成長期の第一歩にさしかかっている、といえる。
「はじめてのゆき」は、そういう時期の子どもたちに、この季節必ず、読み聞かせる絵本のひとつである。

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私の二人の娘は本が好きです。特に上の娘は、いわゆる本の虫で、常時何冊かを平行して読み、活字であれば 新聞から包装紙までなんでも読む子供でした。長じていまは言葉の研究をしています。
さて、彼女がそんなに本が好きになったのは堺谷寛子さんが主催されていた「きらきら文庫」に1歳から6歳まで通っていたからなのです。三つ子の魂百までとはよく言ったものです。
堺谷せんせいの読み聞かせを輪になって身を乗り出して聴いていた子供たちの食い入る面持ち。
  私にとってはその情景はもう遠い昔のこととなりましたが、堺谷せんせいはその後もずっと彼らを恍惚の世界にいざなう仕事を続けています。
きっとせんせいは、子供たちのその眼差しの虜となっているのに違いないと私は思っているのです。




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