『りんごのき』:福音館書店


ある日、朝食にグレープフルーツを食べていると、娘のグレープフルーツに種が入っていた。その種は、少し大きくて、はじけたように割れていて、中から芽らしきものが出ていた。なんだろう?その種を家族3人が頭をつき合わせるように覗き込む。「植えたら、芽がでるかもよ。」と冗談のつもりが、小学校高学年だった娘は興味深々。「そしたらグレープフルーツがなる?」と、大真面目な答えが返ってきた。まさか・・・。ところが、娘の執念か、本当に芽が出た!
日の当たるベランダで、植木鉢に植えたグレープフルーツは、あっという間に大きくなり、つややかな葉っぱをつけた。みかんの木に似ている。娘は大喜び。「プルちゃん」という名前をつけた。毎年、確実に大きくなったにはなったが、実はつかないまま。しかし、プルちゃんは、数々の苦難にあいながら、我が家の木として、10年余りをベランダで過ごした。植木鉢という締め付け、アゲハチョウの来襲、青虫の食い荒らし、黒いカビ被害 何度も葉っぱをむしられ、枝を切り落とされ、丸坊主の棒になったたことか。絵本「りんごのき」のように広い庭に植えてやりたかったなあ・・・・

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『木のうた』:ほるぷ出版


風は目に見えない。でも、私は風を見たことがある。どこまでも続く丘陵地帯を貫くうねうねとのびた道。右には、ヒツジ、またヒツジの牧草地。左には、青々とした麦畑が広がっている。しばし車を止めて、景色を眺める。何かが、麦を押し倒しながら横切っていく。大きな何かの塊が、麦たちを波打たせては消える。麦畑がまるで、生きているように動いている。なんだろう。風が吹き渡っているのだと気づいたとき、「すごい、風って見えるんだ!」と思った。
この絵本を読んだとき、そのときと同じ感覚がした。「すごい、時の流れが見えるんだ!」事物が、時間と共に変化していくのを、いっぺんに一冊の絵本で眺められるのだ。こういう主題の絵本は他にもあるし、毎朝、洗面所の鏡で、自分の顔を見て、時の流れは十分に実感している。だが、この絵本は、絵の連続でありながら、映画のフィルムを見ているように、時の流れが見えるのだ。

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私の二人の娘は本が好きです。特に上の娘は、いわゆる本の虫で、常時何冊かを平行して読み、活字であれば 新聞から包装紙までなんでも読む子供でした。長じていまは言葉の研究をしています。
さて、彼女がそんなに本が好きになったのは堺谷寛子さんが主催されていた「きらきら文庫」に1歳から6歳まで通っていたからなのです。三つ子の魂百までとはよく言ったものです。
堺谷せんせいの読み聞かせを輪になって身を乗り出して聴いていた子供たちの食い入る面持ち。
  私にとってはその情景はもう遠い昔のこととなりましたが、堺谷せんせいはその後もずっと彼らを恍惚の世界にいざなう仕事を続けています。
きっとせんせいは、子供たちのその眼差しの虜となっているのに違いないと私は思っているのです。




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