街で暮らす私たちの身の回りには、木がなんとなくある。街路樹であったり、公園の木であったり、神社やお寺の境内の木であったり、庭に木がある家もあるだろう。木は空気のように、私たちの身の回りに当たり前のように存在する。
しかし、子ども達は、花の名前は知っていても、木の名前はあまり知らないことに気づく。考えてみると、普段大人は、子どもに木の名前を教えることを、あまり意識しないのではないかと思う。それだけ木は、何気ないものなのだろう。なのに、木は一年を通じて、けなげにその様子を変化させながら、静かな主張を繰り返しながらあるのだ。


ちいさいおうち
「木はいいなあ」


もし、木が身の回りからなくなったらどうなるだろうか。難しい環境問題に関してはいうに及ばす、とても想像できない状態になる。この絵本を読むと、そんな気持ちまで持つようになってしまった。

木についての絵本は、これまで紹介してきた絵本にもたくさんある。「りんごのき」「木のうた」図鑑絵本「木の図鑑」きっと私は木が好きなのだ。


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ちいさいおうち
「はるにれ」


私たちが普段、想像できないような光景を見ることができる手段は、写真であったり、テレビやフィルムの映像であったり、本であったりする。人は一生にどれだけのものを見ることができるのかを考えると、好奇心と行動力と幸運のあるなしで随分と違ってくるものなのだろう。

子どものときに見たものや経験したことは、目が新鮮なだけに、するすると入っていく。「いいなあ」と思ったり、「すごいなあ」と驚いたり、「そうなんだ・・・」と感心したり、「なぜだろう」と疑問に思ったりすることは、子どもにとっての生きる糧のようなものだ。
そういう新鮮な目に、是非触れさせてやりたい絵本がある。これも木の絵本だ。登場するのは、一本の木のみ。その一本の木の様々な姿が、季節を越えてアングルを変えながらつづられていく。子どもも大人も、普段、想像できないような静かで激しい光景に惹かれてみて欲しい。

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私の二人の娘は本が好きです。特に上の娘は、いわゆる本の虫で、常時何冊かを平行して読み、活字であれば 新聞から包装紙までなんでも読む子供でした。長じていまは言葉の研究をしています。
さて、彼女がそんなに本が好きになったのは堺谷寛子さんが主催されていた「きらきら文庫」に1歳から6歳まで通っていたからなのです。三つ子の魂百までとはよく言ったものです。
堺谷せんせいの読み聞かせを輪になって身を乗り出して聴いていた子供たちの食い入る面持ち。
  私にとってはその情景はもう遠い昔のこととなりましたが、堺谷せんせいはその後もずっと彼らを恍惚の世界にいざなう仕事を続けています。
きっとせんせいは、子供たちのその眼差しの虜となっているのに違いないと私は思っているのです。




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