最近、とても気に入っている絵本が3冊ある。なんともかわいい絵が、心を癒してくれる。ホセ・アルエーゴ、エーリアン・デユーイという画家二人が共同で描いている絵本だ。まれに見る登場物達の愛くるしさと、独特の世界観のもとに描かれた風景とが、夢の世界をつくっている。絵本は、文章もさることながら、それを深い解釈で仕上げた絵がものをいう。この3冊は、話の作者は違っているが、画家ふたりの、子どもに対する尊敬と親愛の深さが、ひしひしと感じられる絵本である。




『マリールイズ いえでする』:童話館出版


子どもは、親に叱られたとき、どういうことを思うか。理由は何にしろ、最愛の守護者だと信じる親に、否定されたことになるのだから、たとえ自分は悪くとも、まず、悲しいはずだ。だが、そこが人間、一瞬でも親を嫌いになることもある。年齢が上がって、自立してくると、反対に、親に腹を立てるというところまでいくこともある。
「おかあさんは、私のことが嫌いなんだ。」好きか嫌いかがすべてを左右する年頃の子どもは、そう思うかもしれない。しかし、そこは、親子の血のつながりで、根底にはなんとなくの信頼関係はあるわけで、そのときの子どもの感情の複雑さといったらないだろう。私も「自分の子どもが泣いているのに、かわいそうだと思わないの!」とわが子にくってかかられて、たじろいだこともあるが、親は親で、叱ってはみたものの、妙に後味が悪い。感情的になって叱ったときはなおさらだ。この絵本の話はそういうお話、親子の関係修復物語である。
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『ランパンパン』:評論社


昔話や民話は大好きだ。おおらかで大胆、人生のエッセンスがつまっている。この絵本は、インドの民話だが、世界中にある昔話でおなじみのパターンで、自分の大切なものを奪われて、復讐を敢行する話だ。途中で出会ったものたちを仲間に入れていくあたりは、「ももたろう」や「かにむかし」と通じるところはある。

まず、表紙には、うごめく群集。王さまをかついで、なんだか滑稽な様子である。愚かな人間の集まりであることがすぐ分かる。この表紙から、もう話は始まると言っていい。よく見ると、小さな鳥かごが掲げられていて、中に黒い鳥がいる。題は、「ランパンパン」何かの音なのか。いったい何が始まるのか。これは、権力によって引き裂かれた夫婦の美しくも、荒唐無稽な愛情物語である。
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『そらにかえれたおひさま』:アリス館


すぐれた絵本というのは、お話の持つ力を増幅させるように、表現できる画家がいてこそ読み継がれる。時代が変わっても、その力が衰えない底力を持つものだが、この絵本はまさに、そういう力を持っていると思う。この二人の画家は、間違いなくすぐれた絵本画家である。

「そらにかえれたおひさま」のお話は、日本神話にもある「天岩戸」とよく似ている。おひさまがないと始まらないこの世界、隠れてしまったおひさまを、どんな手段で呼び戻すのか。その手立てとは?
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私の二人の娘は本が好きです。特に上の娘は、いわゆる本の虫で、常時何冊かを平行して読み、活字であれば 新聞から包装紙までなんでも読む子供でした。長じていまは言葉の研究をしています。
さて、彼女がそんなに本が好きになったのは堺谷寛子さんが主催されていた「きらきら文庫」に1歳から6歳まで通っていたからなのです。三つ子の魂百までとはよく言ったものです。
堺谷せんせいの読み聞かせを輪になって身を乗り出して聴いていた子供たちの食い入る面持ち。
  私にとってはその情景はもう遠い昔のこととなりましたが、堺谷せんせいはその後もずっと彼らを恍惚の世界にいざなう仕事を続けています。
きっとせんせいは、子供たちのその眼差しの虜となっているのに違いないと私は思っているのです。




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